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2004-05-03

19th NAHAマラソン

19th NAHA マラソン 完走 時間:5:16:51 5930位/完走11,664人



12月6日(土曜日)雨


またもや、雨!!
先にも書いように私は雨男である。
おまけにひどい風だ。傘が飛ばされそうだ。
雨の中を妻と下の娘を連れて、奥武山運動公園近くまで車で行き、徒歩で運動公園に向かったがあまりの風と雨のため、妻と娘は車に引き返してしまった。
私は一人で、雨にぬれながら運動公園へ行き、今年から可能となった前日出走確認を行った。

何のことはない、事前に郵送されたはがきの一部(ゼッケン番号とそれを示すバーコードが印刷されている。)を提出するのだ。
今年から可能となったとはいえ、今回はじめてNAHAマラソンに出る自分にとってはすべてがはじめてである。
すでに手続きを済ませ、ゼッケンとTシャツをもらって帰るジョガーがたくさんいる。
わたしは、ゼッケンとTシャツを宅配してもらうように手配してあったので、今回は手ぶらだ。

運動公園に着いて驚いた。
大会運営のためのスタッフの多さといったらこの前出走したTOUR DE OKINAWAの比じゃない。これがみな、ボランティアなのか?
ま、TOUR DE OKINAWAの出走が2,000人、NAHAマラソンの出場者が20,000人ということで、文字通りけた違いなのを目の当たりにした気がした。

それにしてもひどい雨である。
このまま降り続いても中止にはならないのだろうか。だとするとかなり厳しい状況になりそうだ。
練習ではついに10km以上を走ることができなかった。
つまり、10km以上の距離になるとすべて未知の領域ということになる。
明日は、本当に大丈夫なのだろうか?

12月7日(日曜日)晴れ


をー、晴れている。
確かに、天気予報では晴れるといっていたが、昨日の雨の様子じゃーきっと雨だぜ。と思っていた私には都合のよいことになった。
雨男は返上か?

大会要項によれば、AM9:00にスタートで8:30までにはゼッケン順に並んでないとイケないとのコト。
とすると遅くとも7:00には自宅を出ないといけない。
ところが、実際に自宅を出たのは7:30頃だった。

到着

途中の道路は予想に反して混雑はしていなかった。とは言うものの自宅を出たのが遅かったので、運動公園に着いたのは8:00頃になってしまっていた。
すでに運動公園脇のスタート前整列場所にジョガーが集まりつつあった。
ゼッケンを示すプラカードをもったボランティアも立っている。
どうも私は最後尾あたりに並ばなければイケないようだ(ゼッケン20040だった)。
しきりと場内放送で「ゼッケン順に並んでください。」といっている。
このことが何を意味するのかはスタートしてからわかったが、ぎりぎり完走を目指すものにとっては結構大事だったりする。

ひとまず、運動公園内にはいってみた。
というのも、どこかにKidsのメンバーが場所を確保しているはずなのだ。
まだ、一回しかバイクの練習に参加していないとはいえ、挨拶くらいはしておこうかなと会場内を探したところ、予告どおりバックスタンドの一番上のほうにKidsのみどりの旗が掲げてあった。
行ってみようかなと思ったが、すでに時間が無いのと、メンバーの顔や名前がわからないこともあって、その時は遠慮した。

整列

場内放送は「例年に比べてスタート前の整列が遅れている」といっている。
確かに、あんまり並んでない。
でもそれより驚いたのは、簡易トイレの数とその前に並ぶジョガーの数!!
私も小便をしに、簡易トイレを利用した。
この簡易トイレがおもしろい。
大のほうはよく工事現場にあるような簡易トイレが設置されているのだが、小用は一見大型スクリーンかと思うようなものがデーンと置いてあって、目隠し用のビニールの帯のようなものが上から垂れ下がっているのだが、どうみても足りない。
勢い、斜め後方からだと良く見える状態にある。
それでも皆、お構いなしに用を足している。
数が多いのと、時間に追われていることから恥などどこかへ行ってしまっているようだ。
42.195kmも走らないとイケないし、下手をすると6時間以上も走ってないとイケないわけで、ここでちゃんと用を足しておくかどうかは重要なのである。

自分のゼッケンが該当するプラカードの近くに並んで周りを見渡すと結構おもしろかった。
奇抜な仮装をしたものや、今朝卸たてではないかと思われる、真っ白なジョギングシューズをはかれた方。
神経質そうに持参したスポーツドリンクを飲みつつ、新聞か何かのコピーを見る人。
その紙片がなにかと覗いたら、”完走するためのチェックポイント通過時間”だそうだ。ご丁寧にマーカでチェックも入っている。
そんなに力んでどうするの、とちょっとあきれてしまった。
あきれるといえば、整列中にタバコを吸う若者がいた。
これから長距離を走ろうかというのに大丈夫なのか?

このあたりが、TOUR DE OKINAWAあたりとだいぶ違うところだ。
TOUR DE OKINAWAの時は、お祭りというより、レースそのもので、”楽しむ”ということでは同じかもしれないが、雰囲気はぜんぜん違うものだった。

「おはようございま〜す。」
突然、カメラを担いだ3人組がやってきた。
”いかん、テレビだ”
おもわず、前のほうに移動した。
スタート前にテレビにでも映って、完走できなかったら事だ。

スタート

しかし、この集団の先頭はいったいどこにいるのだ?
どこがスタートラインなのかもまったくわからない。
そのうち、場内放送がスタート間近を伝えた。
10秒前からカウントダウンをしてスタートとのこと。
カウントダウンはまだかなーと思っていたら、いきなり花火がバーン、バーン。
なんとこれが、スタートだった。
”え、カウントダウン無いじゃない。”
例年はあったらしい。今年は何かの手違いでいきなりスタートとなった。

遅い!!
なんでこんなにダラダラなんだ!!
これじゃー、いくら時間があっても足りないじゃないか!!

スタートの号砲がなってから、最後尾付近の私がスタートラインをまたぐまですでに20分が経過していた。
その後もランナーが道路いっぱいに溢れていて、前に進めない。
遅いペースでこのままでは中間地点さえ制限時間内に通過できるかわからない。
これではイケないと人をかきわけ、かきわけ前へと出て行った。

国際通り

旭橋をわたって、県庁前から国際通りに入る。
あいかわらず、人を掻き分けつつ前へ出る。
近くをサンタクロースの格好で走るランナーがいた。
これが結構いいペースで軽く走っていく。
そして、なんと背中にしょった白い袋から、如何にもUFOキャッチャーで取ってきましたというようなぬいぐるみを取り出し、沿道で応援する子供たちに配り出した。
これには、応援しているほうが驚いたようで、なんともユーモラスだった。

NAHAマラソンではコスチュームにこるランナーも多いと聞く。
それだけなら、見た目だけで、走ることは二の次かと思うが、とんでもない。
かえって、こちらよりへんてこな格好をしているランナーのほうがいい走りをしているのだ。
しかし、これは当然ともいえる。
ただ、走るだけでも大変なのに、変なコスチュームも身に付けるわけで、普通以上に走れないとやってられないはずだ。
とんでもない連中だ。

ランナーや応援の人であふれる国際通りをぬけ、ひめゆり通りを経て、国道330号線にはいった。
その後、爬龍橋(今回、初めてこの橋の名前を知った。)をわたり、東バイパスへと進んだ。
ここでスタートから約5km。で、時間はと見るとすでに1時間近くたっている。
とんでもなく、遅い。これでは如何にもヤバい。
東バイパスを走りながら前を見ると、右のシューズの紐がほどけたまま走っているランナーがいる。
気づいてないのかなと思い、声をかけたところ。
「わざと、そのままにして走っているんです。昨年ちょっと休んだため4分遅れで完走できなかったので、紐を結びなおす時間も惜しいんです。」
とのこと。
つまり、この人と同じペースだと完走できないと言うことだ。
あわてて、ペースを上げ、先へ先へと進むことにした。

全面通行止め

交通規制は片側のみのはずだが、あまりのランナーの多さに、事実上全面通行止め状態だ。
でも、これは仕方ないと思う。なにしろ、ランナーが多すぎるのだ。
片側斜線内にとどまると、周りのランナーとぶつかるし、前へ抜けていくことができない。
で、けっきょく反対車線にはみ出すことで他のランナーを抜いて前へ出て行くしかないのだ。

こんな状態のまま東風平中学校前まで来た。このあたりでスタートから10kmくらいのはずだ。
時間は、1時間20分程度。予定よりも遅い。

東風平には以前に2年ほど住んだことがあり、特に東風平中学校あたりはよく歩いたところだ。
ここから具志頭の三叉路まではほぼまっすぐで、緩やかな登り坂になっている。
以前にちょっとだけ走ったことがあったが、”NAHAマラソンでは、ほんとにこんなところを走るのか?”と思うくらいきつい印象だった。
ところが、今回走ってみたところ、まわりのランナーを少しずつ交わしながら登り、気が付いたら具志頭の三叉路を右折していた。
後で聞いたところ、この具志頭の三叉路で妻と下の娘が応援しており、私はその目の前を走り抜けていったらしいが、当の私はまったく気づかなかった。

すでに10kmを超えており、これ以降はわたしにとって、未知の領域となる。
意外なことに脚はどうもない。
昔から長距離走というと呼吸が苦しいという印象が強いが、そんなこともない。
少しはジョギングしていたからだろうか。ここまで走れる自分がちょっとうれしかった。

平和記念公園

そうこうするうちに問題の中間地点、平和記念公園である。
通過時間は2時間26分。
遅い!!
必ず後半はスピードが落ちるはずなので、できるだけ前半で稼いでおかなければならないのにこれではギリチョンだ。
なんとかペースアップを図るか、せめて今のペースを落とさないようにしなければならない。
予定では、ここで家族が応援しているはずだった。
一応走りながら沿道を見回すが、それらしい人影は無い。声がかかる様子も無い。
渋滞でこれなかったんだなと一人合点し、平和公園をぬけ、再び公道へ出た。
足の裏に違和感はあるも走れない状態ではない。ここまで来て思ったのは、
”20kmくらいまでなら十分走れるぞ”
であった。
実際、その後もペースをやや上げつつ前方を行く集団を少しずつ抜いていった。
それにしても相変わらずの人の多さである。まさに溢れている。
ひめゆりの塔のあたりは道幅も狭く、沿道の応援なのか、観光客なのかもう区別もつかない。
我々ランナーの前を横断する人たちもいて、接触転倒しないように気を使った。

大会公式ホームページの高低マップによれば、このあたりがもっとも標高が高くて、あとはゴールまで下りのはずである。
気分的にはこれが楽だった。ところが体にとってはこれがとてもつらかった。

下る

よく、駅伝の中継を見ていると、もっとも足腰の強い選手を下りに起用するということが出てくる。
その意味を今回身をもって知ることになった。
一歩、一歩下るたびに膝や股関節、大腿四頭筋にズキッ、ズキッと来るのである。
これには参った。が、他を抜いていくためにはここでペースアップすべきだ。
清明病院の前の下りでは沿道に止まってストレッチをしたり、座ったりするランナーが見えた。
そろそろ歩き始めるものも出てきた。

南部病院に勤めていた頃、この清明病院からよく患者さんが来られた。
実際、車で通ることも多かった道路なので、南部病院と清明病院は近いのだというのが私の印象にあった。
ところが、結構離れていたのだ。
いつまでたっても南部病院が見えてこない。

何とか下り終え、米須(?)あたりに来た。
ここで見覚えのあるような方に出会った。
反対車線をKidsジャージを着て、黒のアンカーでゆっくりやってくる人がいた。
がんパパさんかな?でもサングラスしていて顔がよくわからない。”
あちらもしきりと誰かを探しているようだ。
”声をかけようか。でも間違いだったら恥ずかしいし。”
躊躇している間にお互いに通り過ぎてしまった。
あとでメールしてみたらやっぱりがんパパさんだった。どうも奥さんを探していたようだ。
声をかけた方々は補給を受けられたようだ。声をかければよかったな。

脚が動かない

南部病院が見えてきた。
このあたりでだいたい29kmのはずだ。
急に脚が動かなくなってきた。上がらない。
以前、だれかが”南部病院前あたりから脚が上がらなくなるんだよね。”といっていたのを思い出した。
このことなのか。でも、なぜ?ハンガーノック
このあたりから急にペースも落ちてしまった。が、どうも私だけではないようで、まわりのランナーを見ても同じような状態だ。
そして、歩き始めたり、沿道で下腿後面のストレッチをしたり、すでに座り込んでしまったランナーも多くなった。
”どうしても完走したい。完走するんだ”
そう思いつづけることがNAHAマラソン完走の第一条件だと新聞に出ていた。
思わずそんなことを思い出してしまった。
このときは、浅はかにも完走よりも4時間台でのゴールを目標にしていた。今思えば無謀なことだ。

30kmの表示を超え、やっと糸満ロータリーを通過した。
このあたりはさらに道幅が狭い。
私の子供の頃からぜんぜん景色の変わらないところという感じだ。

反対車線には車が走り、右折したいようだがランナーが途切れないので右折できない。渋滞がひどくなっている。
あきらめ顔のドライバーもいれば、明らかにイライラしているドライバーもいる。
人間は勝手なもので、マラソンに出ることなど考えもしなかった頃の私は、マラソンのために道路が通行止めになるのなんてとんでもないと思っていたのだが、いま、こうして公道を走っている。

脚はますます動かない。
それでも今回の目標が”最後まで走っていること”であったので、遅いなりにも何とか歩を進めた。
先に書いたように脚が動かなくなったのがハンガーノックではないかと考えた私は、沿道からの補給(ほとんどボランティアの人たち)に頼ることにした。
わざわざ、皮をむいたバナナやみかん、黒砂糖がある。それらを手にとり、口に運んだ。
以前は走っている最中に食べるなんて出來るものではないし、きっとおなかが痛くなると思っていたし、実際おなかが痛くなったこともある。
でもちゃんと食べられるのである。そして、水分補給は必ずやらなければならない。塩も取らなければ水中毒になってしまう。
沿道のボランティア補給部隊?はそのことを良く知っているようで、水はもちろん、塩(それも卓上塩などではなく、沖縄の粗塩である。)をお盆いっぱいに載せておいてある。
それらを口に運びつつこの42.195kmを走るのである。

走れない

すでに歩いている人たちが多くをしめるようになっていた。
そんな中を軽い足取りで抜いていくランナーもいる。
そんなに軽い走りができるひとがどうしてこんなところにいるのだ。もっと前を走っているべきじゃないのか?
こっちの脚はもういっぱいである。
で、補給を手にするときついに歩いてしまった。また走り出した。でもスピードの差はない。それほどの走りしかできない。
そんなことを繰り返しつつ35km地点を通過。
交差点を左折し331号バイパスへ入った。
ここから湾岸を大きく回って奥武山へ向かう。
残り約8kmで時間は4時間10分くらいか。
がんばれば目標の4時間台でのゴールが見込める。
がんばろう。でも走れない。ちょっと走っては歩くを繰り返す。
膝や股関節、大腿部と一歩踏み出すたびに痛みが走るが、不思議といやな思いが無い。
このまま残りを歩いても完走は出來る。
でもせっかくだからいいタイムを出したい。

こんなところでも沿道の応援は絶えない。
本土からのリピータが多い理由の一つがこの沿道の応援らしい。
エイサーでの応援があるかと思えば、ロックの生演奏をする中年グループもあった。如何にも沖縄である。
小さな手に皮をむいたみかんをのせて、手をかざす女の子もいた。思わず娘を思い出し、そのみかんを手にした。
椅子に腰掛けてお盆の塩や黒砂糖を差し出すオバーもいた。
文字通り老若男女、走るほうも応援するほうも十分楽しんでいる。

フィニッシュ

瀬長島をこえ、空港も見えた。
もう少し。
さらに脚は動かなくなっていた。ほとんど歩いている。時間が気になる。でもこれ以上は走れない。
このあたりでかなりのランナーに抜かれてしまった。
逆にいえば、これまで結構抜いてきたのかもしれない。できればそのアドバンテージを保ったままゴールしたかったが、如何せん、これが今の私の力だ。

スタートのときに見たゆいレールを頭上に見ながら、小禄にはいる。
奥武山はもう目の前だ。
あと1kmの表示。
ここでなんとか走り始めた。少しだが前を走るランナーを交わした。
もう少しあるかと思ったら、もう鳥居が見えた。
運動公園の入り口まできたが、それでも抜いていく。
沿道を人垣がうめる。
「もう少し、がんばれ!!」
声がかかる。
力が湧いてくる。
走る。
抜く。
運動公園の入り口をくぐる。
をーっ、トラックだ。
このトラックをぐるっと回ったところがゴール。そこに見えている。
ゆっくりと、でも確実にゴールへ。
そして、フィニッシュ。

「ピーッ」
「はい、OKです。」
ゴールの確認と時間計測のため、ゼッケンに印刷されているバーコードを読み込む。
ここを通過後、完走証明書と記念のメダルを受け取りに行く。
ここでもバーコードを読み込み、それにより完走証明書が印刷、発行される。メダルももらった。
時間は5時間16分51秒であった。

ゴールはしたけれど

うーん、脚が痛い。でもストレッチしなきゃ。
スタート前、ネットで調べると走った後のストレッチがとても重要とのこと。それをやるかやらないかで明日以降の疲労のたまり具合に大きく影響するらしい。
確かにストレッチしている方を多く見かける。
下腿後面を中心にストレッチ。20分くらいはやったろうか。実際このおかげか、歩けなくなるほどの疲労を残さずに、仕事にも支障なくすごすことができた。

さて、どうやってうちに帰るか。
運動公園のまわりは渋滞していると踏んで、家族には電話連絡ののち落ち合う場所を決め、そこまで私が移動することになっていた。
電話しなきゃ。
このときの所持金は1,100円であった。
邪魔になるということで携帶電話はもっていない。
ランナーの中には走りながら携帯で連絡しているものもいて、そのときは物好きだなと思ったが、今は携帶電話をもってないのが残念だ。
電話を探すが見つからない。
歩くのにも不自由な今はあまり移動したくない。でも公衆電話が見つからない。
その携帶電話の普及により、公衆電話が少なくなっているのだろうか。
結構歩き廻ったが見つからない。
見つかったとしても所持金が1,100円なのでどこかで両替しないと使えない。
出店が結構あるのだが、ここでお金を使ってもしものコトがあるとタクシー代もなくなってしまう。
のどが渇いた。
よし、自動販売機で1,000円を両替しよう。

結局、自動販売機を探して、公園の外まで歩いてきてしまった。
やっとのコトで、自動販売機にたどり着き、もっていた千円札を差し込むがうまくいかない。
汗でふにゃふにゃになっており、スリット状の取り込み口に入っていかない。
なんなんだ、いったい。
腹が立ってきた。
なんだって42.195kmも走ってきてこんな苦労をしなきゃならないんだ。
後ろのほうで花火が上がった。
15時の制限時間を知らせるものであった。
おそらく、今年も運動公園入り口での封鎖があったのだろう。
その制限時間よりも45分ほど早くゴールしたのにまだ帰れないでいる。
風に吹かれる千円札を手に、しばし途方に暮れてしまった。

この風がよかったのか、千円札の汗が少し渇いてきた。で、ふにゃふにゃがよくなった。
自動販売機に読み込ませてみる。何度かやっているうちにとうとう千円札が自動販売機の中に取り込まれた。
しめた!!
スポーツドリンクのボタンを押し、待望の小銭を手にした。
スポーツドリンクを飲み干し、さて、今度は公衆電話を探さなければならない。
また、歩き始めた。
いったいどこまで?

やっと公衆電話を見つけたとき、3〜4kmは歩いていたようだ。それにしても公衆電話が無い。
自宅に電話した。妻が出た。よかった。
実は、妻の携帶電話の番号を覚えていない。
だから、自宅に電話して誰も出なかったら、西原まで歩いて帰らなければならなかった。
タクシーに乗ったとして、もし料金が足りなかったら自宅に入って財布をみつけることになるが、自宅のカギさえ持っていないのだから。
走り始めるときにこんな苦労があろうとは夢にも思わなかった。

妻に連絡がつき、待ち合わせ場所を決め、そこへ移動。待った。
なかなか妻は現れない。
寒い。
すでに夕方になり日も傾いていた。
この日は風が強かった。
日中走っている最中はそうでもなかったが、道端で立っているだけだとこの風が、体温を奪う。
脚が痛いので、足踏みすることもできない。
1時間近くも待ったろうか。やっと妻が下の娘を連れて車で現れた。
車の後部席に崩れるように乗り込む。
ほっとした。これで帰れる。

すでに歩くのにも苦労するくらい脚が痛くなっていた。明日の外来は大丈夫だろうか。
そんなコトを考えつつ、風呂に入り、今日一日をゆっくり振り返った。
また、出てみたい。



用語集
・ハンガーノック
サイクリング中に空腹が原因で突然からだ中の力が抜け走れなくなること。血液中の血糖が低下することによりおきる。食べるとウソのように回復する。

[-参戦記-]
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最終更新日時:2008年12月08日 17:16:22


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19th NAHAマラソン

Comments

かかず
こんなことをしてるんですね〜。運動しない方かと思っていました。びっくりです。源ちゃんからホームページ見てみてと言われたので、見ると・・・運動している姿は想像できませんが、がんばってますね。私は南部病院から異動で更正指導所に来ています。また何年かしたら一緒に働くことがあるかもしれませんね。今日は私もバドミントンがんばるぞ!

PT kakazu 旧姓おおしろ
time2004-06-17    Host: shisa8.pref.okinawa.jp - 210.196.255.8

クロタマ
な!さん こんにちは、お久しぶりです。
マラソン完走、素晴らしい健脚で羨ましい限りです。
走り終えた後もいろいろと大変だったご様子、臨場感溢れる
レポを楽しく拝見いたしました。

な!
クロタマさん、これ5年前の記事です(笑)。

今年(2008年)の分は今、書きつつあるところです。
なかなか時間がとれずにずるずると来てしまってそのままほうって置こうかとも思いました。
クロタマさんからコメントもいただきましたしなんとか記事にしますね。
time2008-12-10

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